はじめに
2024年1月2日、夕刻。
羽田空港の滑走路34R上で、
日本航空A350型機と、
海上保安庁機が衝突する事故が発生しました。
多くの人が、あの日の映像と速報を記憶しているはずです。
そして今、この事故から まもなく1年 が経とうとしています。
時間が経てば、出来事は少しずつ記憶の奥へと押しやられていきます。
しかし航空事故は、忘れられてしまったときにこそ、
本当の意味での教訓を失います。
本記事では、事故を感情的に振り返るのではなく、
何が起きていたのか、何が見直され、私たちは何を考えるべきなのか
を、冷静に整理していきます。
事故の概要|単純な出来事ではなかった
事故当時、JAL A350は ILS(計器着陸進入) により、
滑走路34Rへ 直線的に、安定した最終進入 を行っていました。
着陸許可も、正式に与えられていました。
一方、海上保安庁機は、
誘導路C5付近から滑走路へ進入し、
本来は滑走路手前で待機すべきところを誤進入
Line up and wait(滑走路進入・離陸待機) の状態にありました。
事故が起きたのは、次のような条件が同時に重なった時間帯です。
- 夕刻という、空と地上の光が重なる時間帯
- 海保機が誤進入し、正確にLine upしたこと
- 進入側からは、機体が滑走路灯火と重なり視認しにくい状況
- JAL機は「滑走路は使用可能」という前提で最終進入を行っていたこと
航空事故の多くは、
誰か一人の判断だけで説明できるものではありません。
複数の前提、複数の判断、複数の条件が、
同じ方向に重なったとき、事故という形になります。
それでも、JAL機で死者が出なかったという事実

この事故について、
調査が続いている以上、断定できない点は多くあります。
しかし、一つだけはっきりしている事実があります。
JAL機では、乗客・乗員に死者が出なかった。
これは偶然ではありません。
客室乗務員(CA)は、
非常時のためだけに存在しているわけではありません。
- 日常的な安全訓練
- 手順の反復
- 想定外を想定する準備
それらは普段、目に見えるものではありません。
しかし非常時には、そのすべてが一気に表に出ます。
落ち着いた声掛け、
迅速で的確な判断、
自らの恐怖を後回しにする行動。
それは、不断の努力の積み重ねによってのみ可能になるものです。
航空管制(ATC)という、もう一つの安全の柱

航空の安全は、
パイロットだけで完結するものではありません。
航空管制官(ATC)は、
空と地上の交通を統合的に管理し、
滑走路の使用可否や順序を判断する、
安全の要です。
パイロットは、
- 管制から与えられた情報を信頼し
- 許可の有無を最重要の判断軸として
- 限られた視界の中で運航を行います
つまり、
管制官の判断と指示は、運航の前提条件そのものです。
ATCハンドブック改訂と「コミュニケーションループ」
事故を受けて、
国土交通省は
ATCハンドブックを改訂しました。
そこで改めて明確に示されたのが、
「コミュニケーションループ」という考え方です。
これは単なる
「指示 → 復唱」
ではありません。
以下の図は、国土交通省の資料を基に、
航空管制と操縦室内のやり取りを一つの循環構造として整理した概念図です。
航空管制におけるコミュニケーションループ(7段階)

出典:国土交通省(ATCハンドブック)を基に作成
図が示している7つのプロセス
このループは、次の流れで回り続けます。
- 管制官からの指示
- 操縦室の二人(PF・PM)が独立して指示を聞き取る
- PFが理解を示し、意思表示を行う
- 操縦室内でのリードバック
- PFによるヒアバック
- 管制官によるヒアバック(外部確認)
- 冗長性(リダンダンシ)としての言語確認
重要なのは、
一度で終わらせず、理解が一致するまで何度でも回す
という点です。
なぜ「ループ(円)」でなければならないのか
人は必ず、
- 聞き間違える
- 思い込む
- 忙しさの中で省略する
この前提を否定しないからこそ、
航空安全は 「注意力」ではなく「構造」 で守られています。
復唱は、理解を保証するためではありません。
誤解を言葉として表に出すための工程です。
それを操縦室内で確認し、
さらに管制官が外部視点で確認し、
冗長性を持たせてもう一度確認する。
この循環が切れないことが、
滑走路周辺という最もリカバリー余地の少ない領域では、
特に重要になります。
航空安全は、日々研究され、進化している
航空の安全は、完成されたものではありません。
- 事故
- インシデント
- 日常のヒヤリ・ハット
それらはすべて記録され、分析され、
次の運航へと反映されていきます。
マニュアルは改訂され続け、
訓練内容も更新され続ける。
人は必ず間違える。
だから、間違えても事故にならない構造をつくる。
それが、航空業界に長く根付いてきた安全思想です。

最後に|利用者である私たちにも考えたいこと
飛行機は
ほとんど音の速さに近い速度で空を移動しています。
それがあまりに自然で、
「当たり前のサービス」のように感じてしまう。
しかしその裏側では、
- 判断する人がいて
- 確認する人がいて
- 立ち止まる勇気を持つ人がいる
多くの責任と余白の上に、
その移動は成り立っています。
価格、速さ、効率。
それらを求めること自体が、悪いわけではありません。
ただ、
その便利さが、どのような前提の上に成り立っているのか
を想像することは、決して無駄ではないはずです。
JAL A350と海保機の衝突事故から、2年。
この時間を、
忘れるためではなく、
正しく理解し、次につなげるために使う。
それもまた、
利用者である私たちが
航空安全を支える一つの形なのだと思います。